2019年2月18日月曜日

(参考 通信使の道)対馬

釜山から海を渡った通信使は、まず対馬に厳原に上陸した。通信使が来る度に客館が作られた。対馬に残る客館跡は国分寺にある。1811年、徳川家斉の就任を祝う通信使が来たが、幕府の財政難もあり、江戸ではなく、対馬の厳原で祝賀行事を行うこととなった。そのとき国分寺に客館を作り接待した。客館は壊され、国分寺自体も明治に火災で焼失したが、山門自体は焼けずに残った。

なお、宗氏の菩提を弔う万松院には朝鮮国王から贈られた三具足がある。

日光輪王寺大猷院鉄燈篭

大猷院は徳川家光の法号である。家康を祀る日光東照宮に隣接する輪王寺境内にある。家光を祀る大猷院の前庭には鉄燈篭がおかれている。大猷院のそばには御三家、その手前には家臣の奉納した燈篭が左右一対ずつ並べられている。その中に、朝鮮の孝宗が贈った燈篭もある。
これは1655年の第6回通信使が日光に来たときに送ったもので、他の燈篭と異なり、竿部分が膨れていない直線型をしている。そこに国王が贈った旨の銘が刻まれている。


 また、このとき孝宗真筆の「霊山法界 崇高浄院」という書と、国書を入れた箱、大猷院前で唱えた祭文、銀製香炉、楽器などがもたらせれ、輪王寺に渡された。これらは輪王寺宝物殿に保管され、不定期に公開されている。

東照宮朝鮮鐘

徳川家康を祭った東照宮。1636年に陽明門などが出来上がった。この年に来日した第4回通信使は幕府の突然の要請によって日光東照宮に遊覧している。朝鮮仁祖のときである。その後、1643年に家綱誕生祝賀のために来日した第5回通信使のときには、東照宮の落成祝賀を兼ねて、正式に東照宮を参拝した。この時は仁祖真筆の「日光浄界、彰孝道場」という額、鐘、香炉、蝋燭台、花瓶などが準備された。

鐘は陽明門手前右手にある。鐘の上部の竜頭には筒が付けられ、穴があいている朝鮮式の鐘であるが、穴があるため「虫食いの鐘」とも呼ばれている。側面には朝鮮国王が作らせた旨の文字が刻印さている。銅は対馬から取り寄せたものである。なお、通路挟んで向かい側はオランダが1636年と1640年に贈った銅燈篭が置かれている。


このとき同時に三具足が贈られ保管されていたが、1812年の火災により焼失し、改めて日本側で作り家康の墓の前に置かれている。