東京周辺の朝鮮
2019年1月9日水曜日
鐘楼碑(金玉均4)
北千住、勝専寺境内にある。
金玉均は父島、母島と流された後、病気療養を理由に北海道に移される。しかし、気候条件が合わないとう理由で東京に治療に出て来て、北海道に戻ることはなかった。
東京の潜伏地は明確でないが、北千住付近でなかったかと推定されている。それだから公会、非公開を含めて、金玉均関係のものがいくつか残っている。
慈眼寺の鐘楼下に埋め込まれた記念碑もその一つである。碑の題字には「金玉均」の文字が見える。
0 件のコメント:
コメントを投稿
次の投稿
前の投稿
ホーム
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿