2019年1月14日月曜日

丹那トンネル殉職碑



 熱海、来宮駅より徒歩

東海道線が開通したとき、箱根を越えることが出来なかった。そのため、箱根を迂回して現在の御殿場線を走るルートで建設された。

その後箱根を越えるために、1918年に丹那トンネルの掘削が始まった。1925年に完成する予定であったが、難地盤によるトンネル崩落や大出水、北伊豆地震により工事は大幅に遅れ、開通したのは1934年であった。記録に寄れば犠牲者は67名である。

丹那トンネルの熱海口上には丹那神社と殉職者氏名を刻んだ殉職碑がある。その中には朝鮮人の名前も含まれている。静岡県朝鮮人年表には多くの丹那トンネル(熱海線)関係の記事が掲載されているが、それによれば、1923年8月15日の静岡新報に、熱海線泉越トンネル工事、有馬組の450人中200余が朝鮮人という記事がでているそうである。

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