2019年1月13日日曜日

朝鮮人納骨塔


横浜市港北区菊名蓮勝寺(菊名駅下車)

関東大震災で殺害された朝鮮人の納骨塔。社会運動家の村尾履吉氏が、自宅前に積み上げてあったいた遺体を引き取り、三沢墓地に埋葬し、1933年に納骨塔を建立した。1946年、村尾氏が死亡した後、社会運動家の李誠七の手によって遺骨を三沢墓地から勝蓮寺に移された。納骨塔にならんで「朝鮮人納骨塔転徒改葬祈念碑」と「韓国人墓地改修記念碑」がならぶ。

朝鮮人納骨塔は1933年、村尾の手によって建立。漢字の脇には、ひっそりと目立たないようにハングルも彫られている。これは1918年頃渡日したキリスト教社会事業家の李誠七によるものと考えられている。李誠七と村尾は互いに協力関係にあったからである。碑文は「됴션인 납골탑」と、当時の書き方で書かれている。現在なら「조선인 납골탑」である。旧式のハングルを彫った金石文は日韓含めて珍しい。韓国は漢文主体であったし、日本でもハングルで碑が彫れる環境になかったからである。

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